RBCでの4年間
Ryukyu Broad Casting ??

某学の試験を受けた。発表の日、何人かで見に行った。探した。
ない。第2希望は・・・ こっちにもない。「あかんのかぁ!」
その時、友の声がした。「ここに載ってるでぇ!」「ほんまか」
ありました。ほっとしました。第2志望で合格の場合は少し別の
場所に掲示していたのだった。第1から何点かを引いて(ペナル
ティ)第2志望の合否を決定しているからであろう。こうして、
大阪から京都へ2時間あまりを掛けて通う4年間が始まった。

最初の2年は阪急・梅田−西院を急行で、そして衣笠校前までは
京都市電で。1年ほどして、この京都市電が朝のラッシュ時に急
行運転を始めた。待避線もないのに!? そうなんです。実は、
主要交差点の停留所は全ての電車が止まり、交差点間の4〜5の
停留所は一つ飛びに止まるのを2系統作って、停車時間を稼いだ
のです。車社会になり始め、ぼちぼち交通渋滞が起こりかけてい
たことに、先に手を打ったようです。           

残り2年は淀屋橋まで延伸した京阪カーブ式電鉄の特急で三条、
そして、京都市バスで衣笠下車。特急は1800系から1900
系に変わりつつありました。当時、南海ホークスのファンだった
こともあり、今日は19・野村に、今日は21・杉浦に、22・皆川
と、異なる車両を楽しんでいました。           
さて、本業(?)の方ですが、航空部に入ろうか、放送部に入ろう
か、迷いましたが、結局、放送部、つまり、RBCに入局です。

アナウンス部に配属(希望どおり)が決定。早速、腹式呼吸の練習
と滑舌の練習です。腹式呼吸は、俗に言う「お腹から声を出す」
ことです。息を十分に通して声帯を無理なく振動させるのです。
「発生練習」と称して、100人以上も入る大教室の両側にそれ
ぞれ、新人と先輩が位置します。新人は大きな声を張り上げて、
「あえいおうあお」とやります。遠く離れた先輩からは、「聞こ
えん、もっと大きな声で!」と。ホントのところ、最初は聞こえ
ていないのですよ。お腹から声が出ていませんから。そして、喉
を痛めてしまいます。腹式が出来るようになると、喉を痛めるこ
ともなく、「かけきくけこかこ、させしすせそさそ・・・・」と
出来るようになります。今度は「滑舌練習」です。舌を滑らかに動
かすこと。要するに早口言葉を間違いなく言えるようになること
です。少し、やってみましょうか。ご一緒にどうぞ。    
「東京特許許可局の許可」「新人シャンソン歌手新春公演」
「今日のクラシックアルバムは序曲を5曲、お届けしました」
「神田鍛冶町の角の乾物屋の勘兵衛さんが、かち栗買ったが
硬くて噛めない」「生学鰹(なままながつお)」・・・・
   
「あめんぼ 赤いな   あいうえお  浮き藻に 子海老も 泳いでる  
柿の木  栗の木   かきくけこ  きつつき こつこつ 枯れけやき
ささげに 巣をかけ  さしすせそ  この魚  浅瀬で  刺しました
立ちましょ ラッパで たちつてと  とてとて たったと 飛び立った
なめくじ のろのろ  なにぬねの  納戸に  ぬめって なに粘る 
鳩ぽっぽ ほろほろ  はひふへほ  日なたの お部屋で 笛を吹く 
まいまい ねじ巻き  まみむめも  梅の実  落ちても 見もしまい
焼き栗  ゆで栗   やいゆえよ  山田に  灯が点く 宵の家  
雷鳥は  寒かろ   らりるれろ  蓮華が  咲いたら るりの鳥 
鷲の子  輪を画く  わいうえを  わいわい わっしょい お祭りだ」

これらの
ガリ版刷りの練習教材とともに手にしたのが、日本放送協会
つまりNHKの「アナウンス読本」と三省堂の「アクセント辞典」。記憶
が定かでないが読本は青色だか、緑? アクセント辞典は赤というか、橙
といいうか、そんな色でした。                  
今となっては、読本に書いてあった内容は全く覚えていませんが、鼻濁音
や母音の無声化、助詞、助動詞のアクセントなどなど、こと細かく綴って
あったのだと思います。多分、今でも、大きな本屋に行けば、アクセント
辞典とともに探し出せると思います。               


大阪に生まれ育ったわたしには、東京式共通語(標準語とは言わない)の
アクセントには参りました。簡単に言えば、大阪と東京で一文字アクセン
トの位置が違ってるのです。でも、この一文字が大の曲者なのです。 
考えても見てください。かな二文字、例えば「くも」「はし」などでは、
アクセントが全くさかさまになるでしょう。            
日本語のアクセントは高低アクセントで、英米語は強弱アクセントです。
それに母音(ぼいん)は、「あいうえお」のたったの5個に対して、日本語
いう曖昧音(例えば、「あ」と「お」の中間音)が沢山あります。    
高低アクセントは、音符の「ド」と「ミ」の関係と考えてください。   
「橋」を例に取りましょう。これを「ミド」と「ドミ」の高低で発音してみて
ください。どちらが「橋」で、どちらが「端」でしょうか。     
『橋の端で箸を持つ』『他家の丈の高い竹を切る』 ワープロ変換でよく
出る、『貴社の記者が汽車で帰社する』というのもあります。    

因みに「橋の・・・」は、こうなります。前が共通語、後が大阪弁です。
ミ音  シノ  シデ ハ   モ   ハ         ヲ  
ド音 ハ   ハ    シヲ  ツ   シノ ハシデ ハシ  モツ


面倒なものでしょう。                      

更に、頭を痛めたのが、「鼻濁音」と称するものです。ご存知ですか。 
共通語では当たり前ですが、大阪人にとって、これは厄介なものでした。
つまり、こうです。「学校がある。=
っこうある。」ですが、『が』
音が
にありますね。前は普通の【が】の発音をするのですが、後は
【んが】と鼻に抜くのです。発音記号で書くと、「か」に『゛(濁点)』と

「か」に『°(半濁点)』になります。詳しいことは兎も角として大雑把に

言えば、言葉の最初の「が」は普通に途中の「が」は『鼻濁音』なのです。
まあまあ、それも練習を続けることよって、だんだんと身に付きました。

「企画価格、取引価格、危険区域、区画計画」 これは「母音の無声化」の練習
です。最初の「企画価格=きかくかかく」を発音記号で書くとこうです。
【kikaku kakaku】ですね。おしまいの『u』音を発音せずに

【kikak kakak】とするのが、『母音の無声化』なのです。では、
もう一度、「企画価格、取引価格、危険区域、区画計画」を発音してみましょう。


今ひとつ残っているのが、歌舞伎十八番のひとつ「外郎売」の台詞です。

外郎(ういろう)といえば名古屋の名産の菓子が有名ですが、それとは別の
ものです。そのあらすじは、こうです。              
小田原の名産で、中国の元の札部員外郎で日本に帰化した陳 宗敬が伝えた
薬で、痰きり、口臭を除く薬だそうです。             
話の構成は「曾我対面」とほぼ同じで、曾我ものの世界と小田原名物を結
びつけて曽我五郎が外郎の薬売りに身をやつして、工藤祐経の館に入り込
み、敵に近づきますが、時節を待てといさめられて別れる「対面」の一幕
になっています。みどころは、何と言っても、外郎売の長ぜりふです。
今ではあまり演じられることのない『外郎売』ですが、台詞の言い回しの
面白さから新劇の俳優やアナウンサーの活舌術にも利用されています。

それでは別ページで、その外郎売をご覧ください。      


歌舞伎とわたしの付き合いは随分と長くて古い。何しろこの世に生を受け
る前から劇場に出かけていたらしい。親父が学生時代から初代中村鴈次郎
のファンで、歌舞伎座、中座(ともに大阪)や京都の南座に出かけていた。
現鴈次郎(三代目)が若かりし扇雀、現富十郎が坂東鶴之助を名乗っていた
遠い昔のことである。関西では市川寿海(市川雷蔵の父)や 実川延二郎(後
の実川延若)、十三世仁左衛門(片岡孝夫=十五世仁左衛門の父)が活躍して
いた。吉右衛門、菊五郎、松録、幸四郎、海老蔵(後の團十郎)、左団次、
勘三郎、勘弥、時蔵、三津五郎、雛助、吉三郎・・・と、 切りがない。
今は、その息子達が中堅で、孫が若手で活躍している。       
二世鴈次郎の楽屋へは何回かお邪魔したことがある。それは物腰の柔らか
く、ご贔屓を大切にし、死ぬまで勉強を続けられた方であった。亡くなら
れた後、父が京都のお宅にお参りに行き、その帰り際、奥様から「形見に
これ、もろといておくれやす」とネクタイを数本いただいて帰り、今でも
大事に使わせていただいている。(歌舞伎は別のページで改めて・・・)

本論から外れてしまった。                    


RBC活動の一端は、こちらの『写真集』でご覧ください。     



 この画面を閉じてください

サイトマップ ホーム> 思い出あるばむ > 「のんちゃん」って!? > RBC
   

平成12年10月11日(2000)

Copyright 2000 Non-Chan Osaka,Japan