敗戦後・・・ 
平成12年(2000)、井戸端会議室のレスから(一部加筆、修正)

この日になると、いつものように、何故「終戦」と言うのだろうか、『敗戦』と
素直に言えば良いではないか、と。何故言えないのだろうか、と。


親父は中国の北の方面に出征していたらしいが、その時の話は一切してくれない。
余程嫌なことばかりだったからなのだろう。無言で、戦争の悲惨さを教えてくれ
たように思う。わたしの戦争時代は、母によると空襲のある所を上手く避けられ
たのだそうだ。両親は土佐の出で、たまたま母と高知に居る時に大阪空襲、大阪
に居る時に高知が空襲に、という具合に。



昭和18年 漢口第二陸軍病院での父
昭和17年3月15日の挙式後、間もなく出征

幸いにして、焼け残った一画。物干しから西を向けば400m程離れた高野線の
土手が見える。その線路を時折、蒸気機関車(C11かC12だったらしい)が
通るのが見えた。水都祭の花火は、流石に音は聞こえなかったが、北の方角の遠
くに見えた。戦時中は物干しからサーチライトの影に浮かび上がる造船所の大き
なクレーンも見えていたような気がする。途中にある家々が空襲で焼けてしまっ
たからだ。堺の空が真っ赤に燃えていた。西の空も真っ赤に。戦いに敗れた。
皆がヒモジイ思いをした。焼け跡は、直ぐに食料基地になった。ナス・トマト
きゅうり・じゃがいも・さつまいも・さとうきび・ねぎ・たまねぎ・なんきん
大根・人参・ごぼう・・・・ ありとあらゆるものを作った。皆が協力して畑を
耕し、水をやり、収穫した。当時はまだ、井戸水が豊富だった。街道には馬や牛
のための水呑場もあった。
われわれ子供もブリキのバケツで水を運んだ。肥料な
どはない。自然の恵みに頼るだけの食料。さとうきびは、そのまま、しがんだ。
下手をすると唇を切る。いや、しょちゅう切っていた。でも、甘かった、美味し
い味がした。自然食そのものだもの。
そう言えば、高野線の土手には春になると「土筆」がいっぱい。よく取りに行っ
た。電車の本数が少ないので全く危険はなかった。高野鉄道の二つ目玉の電車が
すごく懐かしい。進駐軍専用電車も走っていた。白い帯に英語で何やら書いてあ
ったように思う。

生まれたのが戦中なので、本当の戦争の悲惨さは全く知らない。戦争に負け貧し
い時代を皆で生きてきた事を思い出すと、今ある意味で忘れられている「ひとと
人との触れ合い」が確かにあった。少しだけ蓄えのある人が、貧しい人の面倒を
見た。お互いに、お年寄りも、大人も子供も、男も女も、自分の出来ることを精
一杯やった。「向こう三軒両隣」ではないが、ご近所さんに随分と助けていただ
いた。今にして、本当にありがたく思う。皆さんのお陰で今があるのだと。
今頃の時期、近所のおじさん達は縁台将棋をよくしていた。弟は見よう見真似で
結構強くなったようだった。
町の主要道路が、コールタールの簡易舗装が施された。このコールタールは夏の
暑さに直ぐに緩んでしまう。それを取って来て、長さ1mぐらいのたこ糸の両端
に直径1cm程の錘を作る。これを空に向けて投げ上げ、トンボを取ったり、時
にこうもりが引っかかったり。近所の天神さんで「お化けごっこ」もよくやった。
何かにつけ助け合った、貧しき時代。今、忘れられている「こころの触れ合い」
の大切さを痛切に感じる。

遊び道具は、焼夷弾の炸裂した金属片だった。断面が六角形の半分( / ̄\型 )
をした長さ15cm程度のものだったように思う。これを電車と称して、地面を
這いまわったものだ。2本の線跡が付くから丁度良い。今一つは、電線を軒下で
留めていた白い碍子。今でも 
  __ ▽______▽ __
木造家屋の軒下に見えるあの 
 /   ‖      ‖   \ ●は、電線
碍子だ。2個1組で、電線を 
├―●――――――――――●―┤ ‖は、ねじ
挟む形で使われる。丁度良い 
|___‖______‖___|
ことに、上になるほうは両端
が曲面である。流線型なのだ。 
  ‖          ‖   ‖は、電線
これを両端にし、途中に下の 
┌――――――――――――――┐ ○は、ねじ
四角いのを何個も入れ、ひと 
|   ○      ○   |
編成を作る。連結器はコの字 
└――――――――――――――┘
の針金。これをネジ穴に通す。 
  ‖          ‖ 
   _____________  _______________
  /   ‖      ‖   |   ‖      ‖   |   
 └――――――――――――――┘└――――――――――――――┘
  
          |        |←針金の連結器に碍子の穴を通す
  
          └――――――――┘     
この碍子の列車は、曲線をくねくね走らせると、さながら、本物を山の上から見
ているような錯覚を起こす。編成を長くすると、碍子が結構重く、牽引力が相当
必要でもある。また、曲線は、しっかりと地べたに溝を掘って、そこを通さない
と先頭が通った所より、だんだんと内を通り、様にならない。

今頃は大きなヒマワリ。秋にはコスモスがいたるところで咲いた。女の子は土で
おままごと。われわれ男の子は、天気の良い日は電車ごっこ。雨になると、傘も
差さずに、水の流れを石と土で堅牢な堤を作り、大きなダム湖を競ったものだ。
土が友達だった。自然と遊んでいた。自然の恵みで生き延びた。

カルメラ・サッカリン・DDT・まくり・脱脂粉乳・紙芝居・・・ そうそう、
オートジャイロなるものも飛んでいた。そらからビラが舞い落ちてきた。

次から次へと思い出し、切りがなそうだ。敗戦の日はもう過ぎた。覚えていたら、
来年のこの日に、また書いてみよう。


加筆・修正している間に思い出したこと
洋館建て ローラースケート 2部授業 壊れたランドセル・筆箱 校舎の移動
ボール紙のピストル うるし 自転車・サイドカー スクールポリス TV出演
ぜんざいおばちゃん みみくそ たこやき 電磁誘導点灯 ・・・・・

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写真を追加 平成12年 9 月27 日(2000)

平成12年 9 月10 日(2000)


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