Non-Chanの 「いっちょうやろか お仕事年表」 1/4
 作成:2007(平成19)年9月19日 新生活開始5周年の日
         〜 独断と偏見、思い込みで綴る 一技術者としての"落地生根"の37年半 〜 詳細は、鉄塔関係はMC鉄塔物語に、電算関係は
計算事情に掲載、または掲載予定です
 鉄塔部設計課 1965(s40)/4〜1972(s47)/3  <7年> ☆ 1965/3/29入社 4/5 堺工場 (当時は4/1ではなく月曜日入社)  
  送電鉄塔の設計・製作の担当(主なもの) 1964.10.1  東海道新幹線開業
    ◆関西電力/南姫路線鉄塔 6PR他(1965) 154kv 6cct(回線) 姫路・市川河口(山陽特殊鋼横)の門形基礎上に建つ   10.10 東京五輪
      設計と製作を初めて単独で担当 断線条件の組合せが分かっておらず、上司にこと細かく教えてもらった思い出の鉄塔    
      塔高約69mで、その75%の主脚材がφ318.5や355.6を使用しており、当時の社の最大重量(約70tだったか?)鉄塔である   1965.9 国鉄「みどりの窓口」開設
      2007(H19)/4、41年ぶりに再会を果たす                
       鉄塔設計で7年間お世話になったこの上司、仕事の原点である   ある酒の集まりで「お前は敵が多いからな」と     
       仕事振りなど日ごろの言動から、見事に性格を見抜いていらっしゃったこの言葉ではある      
    ◆関西電力/木曽川横断鉄塔 LA (1965) 154kv 2cct 塔高 愛知県弥富市の木曾川両岸に1基ずつ建設    
      上司が設計し、製作を担当 当時の社の最大塔高(91.5m)鉄塔で、最下節はK結構である       
      建設後直ぐに訪れ撮影 再訪問したくとも、平成18年2月に撤去され、果たせず      
    ◆関西電力/湖南蹴上線鉄塔    (1965)  77kv 6cct 21基        
    ◆住友共同電力/新居浜鉄構    (1967) 設計と製作を担当 鉄塔部門初めてのラーメン設計     1966.1 赤字国債募集開始
      この時、設計方針などを相談に行った先輩、「君に分からんこと、俺にも分からん」と 正直と云えば正直なんですがねぇ    
      当の本人は直ぐに忘れてしまっているでしょうが、聞いた方としては、そんな言い方はないやろ! と今でも覚えています    
    ◆関西電力/若狭幹線    (1967・1968) 500kv 2cct MA・BM・Gなど24基 1点支持碍子 美浜原発 "万博に原子の灯を!"    
      ・A6系列鉄塔(275kv/6mmSleet)の設計(1967) A系列鉄塔(500kv)の設計(1968)   1967.2 建国記念日施行
      ・BM型で本邦初の2連碍子の1点支持方式を実尺現図で関電技師他関係者が詳細検討(従来の大型鉄塔は3点支持)    
      ・G型(500kv)鉄塔の設計と製作 (1968)          
    ◆関西電力/海南火力線(現和泉線) (1968) 500kv 2cct MA・BMなど48基       
      ・若狭幹線用鉄塔を本線にも採用       1968.7 郵便番号制度発足
      ・BM型鉄塔設計時(他社)に腹材長に主脚材長を誤転記(長さ比率約1.4対1 基本寸法は電算化) 架線時に強度不足が判明    
       既に架線が完了していた若狭幹線鉄塔も含み、該当腹材の再製作・取替えを行う 費用は関電・他社・当社の三者一両損    
    ◆東京電力/福島幹線       (1968) 500kv 2cct PEなど18基 福島原発      
    ◆関西電力/喜撰山線(現北大和線) (1969) 500kv 2cct MA・BMなど41基 喜撰山揚水   1969.7 アポロ11号月面着陸
      ・若狭幹線用鉄塔を海南火力に引き続き、本線にも採用        
       木津川横断のLA型を設計(風速60m/sの裏チェックを実施) 2006(H18)/6、再会を果たす(精華町・祝園駅の東)    
        喜撰山揚水発電所 上池の喜撰山ダムはロックフィル式,下池の天瀬ダムはアーチ式で,最大出力46.6万kw    
        水圧鉄管も合わせて受注・納入(1971)し、それに先立ち発電所建設の工事用道路の一部として宇治川左岸から右岸に 1970.3 大阪万博
        渡る橋梁も受注・納入(1967 喜撰山大橋:2ヒンジブレースドアーチ) また、ローラーゲートも受注・納入(1969)   「人類の進歩と調和」
    ◆東京電力/第二東京中線 PKc他(1970) 500kv 2cct PE・PKcなど10基     4 八幡、富士合併 新日鉄
      ・PKc型(特殊)鉄塔の設計と製作 碍子連の3点支持位置が9通りの組み合わせで設計が複雑(通常は1通り)   10 国勢調査/総人口1億人超
       2005(H17)/3、ネット上の友人が探し当て、撮影 翌2006(H18)/5、再会を果たす(掲載済み)      
    ◆東京電力/第二福島幹線     (1971) 500kv 2cct PEなど17基 TP式鋼管鉄塔      
       本件担当途中、新部門への異動が決定し、東電さんのお世話になった皆様にご挨拶のため、後任者とともに上京    
  設計用資料の作成    
    ◆隅肉溶接長計算グラフの作成  (1965) 手計算からの開放(筆算・そろばん・手回し計算機・計算尺の時代)    
  Fortranによる送電鉄塔の設計業務関連のプログラム開発 (フォートラン ← Formula Translator = 数式の翻訳者)    
    ◆据付寸法図の寸法計算     (1965) 初めてのFortran(先輩から講習会のテキストを見せて貰ったのが切っ掛け) 1971.7 環境庁発足
      同僚が、検測材(山形鋼)の高さ1000mmを100mmと誤って計算し、基礎工事をやり直すことになったことも一因   8 為替/変動相場制へ移行
      検測材を使用せず、基礎材のフランジの刻印で寸法を測る方式は、1967年に開発(これにより検測材方式は廃止)   12 スミソニアン体制発足
    ◆塔体設計の単位荷重計算    (1965) クレモナ応力解析図の電算化       1ドル=308円に
      従来はクレモナ図を手描きし、三角スケールで測っていたため、作図誤差、読取誤差が発生した(明治時代からの手法)    
    ◆塔体設計の荷重計算      (1966) 塔体応力表の実応力値の算出(従来の応力表に転記 ↑BM型事件)    
    ◆コンクリート充填鋼管強度表  (1967) N値を任意に指定 関西電力、東京電力、中部電力などに、要請により配布    
    ◆塔体縮尺現寸用寸法計算    (1967) 従来、構造物の実寸法は広い床に、すみ壷と糸と竹べらで実尺で画いていた    
      主柱材に取り付く腹材は、主柱材に溶接された型板(ガセットプレート)にボルトで留める 型板の取付角度を算出する    
      ことによって、1/10の縮尺現寸図で型板の実尺形状取りが可能となり、大幅な工数の削減が図られた    
    ◆塔体寸法計算         (1967) 縮尺現寸を基に、腹材を主柱材に取付けるU字型プレート寸法から、型板の    
      大きさを計算し、結果、部材寸法の全てを算出 現図作業は不要となった      
      従来は、製作時に客先の現寸検査を受け、承認を得る必要があった このプログラムの完成により現寸検査が省略され、    
      更には、現寸作業そのものを省略することが出来、現図工程の工数削減に多大な貢献をした      
    塔体寸法の本格的開発は、一緒に実施工事担当をしていた後輩 プログラムをやってみないかと声を掛け、二人三脚で    
    塔体の上部・中間共通部と最下節には大きな違いがあるため分離 彼は前者を担当した      
    ◆腹材加工図の考案       (1968) 従来は、床書き現寸を帯鉄(シナイ)に書き写し、部材製作の物差としていた    
      塔体寸法計算で、実寸法が算出されているため、B6版に部材の略図を示し、寸法表に必要寸法を記入した    
      これにより帯鉄(シナイ)の使用量が減少し。コストダウンを実現 主柱材加工図は1970年から実施      
    ◆精算重量表計算        (1971) 送電鉄塔の製造費用の精算は、1基の鉄塔を構成する部材の重量を算出し、    
      それに契約時に決められたトン当たり単価を乗じて客先に請求する この作業は膨大なため精算重量表作成時は全ての    
      仕事を中断し、課員全員が徹夜作業でこなした        
      塔体寸法計算完成後、仕訳表や部品表をデータ化、帳票を作成 このデータなどから精算重量の自動算出を可能とした    
    ◆これまでに開発が始まった設計業務は次のとおり        
      送電鉄塔塔体設計(1965〜) 送電鉄塔腕金設計(1965〜) 送電鉄塔塔体寸法(1967〜) 水圧鉄管単発プログラム(1970〜)     
      送電鉄塔腕金寸法(1970〜) 埋設水圧鉄管設計(1971〜) 鉄塔精算重量計算(1971〜)      
  関西電力の技師さんの思い出    
    関西電力から出向で来られていた上司の後輩(確か、一年)の技師さんには、いろいろと教えて頂き、本当にお世話になりました    
    ・先輩たちが設計した一式をお届けしたときのこと 応力表をご覧になり算盤をおいて 「高温季、低温季って教えた貰った?」と    
    「いえ、未だです」「この設計、計算間違いしてるよ」 その後、とても丁寧に高温季設計・低温季設計について教えて下さった    
    コンクリート充填鋼管強度表や塔体寸法計算では、従来の手計算の数値と電算の計算結果が小数点以下のところの四捨五入の    
    関係で、異なる数値になることがあった 電算での計算についてご説明し、「これからは計算機の時代だね」とご了解下さった    
    その例のひとつ 鉄塔は上下の腕金間にいくつかのパネルがある 垂直寸法は腕金間=Σパネルであるが、主柱材の実寸法は    
    四捨五入の関係で等しくはならないことがある 従来は、Σパネルを腕金間実寸法としていた 電算計算は必要有効桁数の    
    次位で四捨五入し、それぞれが真の値に近いので、腕金間実寸法≠Σパネル実寸法もあることを了解して頂いた    
    当時は、計算機と云えば、算盤 算盤をおいて計が合うように数値が記載されていた    
    ・基本設計や現寸作業の電算化には理解を示して下さり、様々なご指示、助言を頂いた     
    ・ある仮組検査時 主柱材に溶接されているガセットプレート(腹材をボルトで取付ける鋼板)を指で挟んで「ちょっと薄いね」    
    検査係が測定したところご指摘のとおりであった また別の検査では、「このパイプ 小さいね」 鋼管製造工場でのステンシルの    
    打ち間違いであった 両件とも社内の入荷検査や工場各工程でそして仮組検査で発見出来なかったことが大問題となったし、    
    鋼板、鋼管製造業者の体制が厳しく問われたのは云うまでもない出来事であった    
    ・若狭幹線の製造は、急激な増産のため、社内の様々な作業に不慣れで大混乱した 仮組検査にお越し頂いたのもかかわらず    
    部材が揃わずお待たせをし、日没後随分遅くなって出来上がった部材を投光器の明かりの下で自ら取付を手伝って下さった    
    ・「原子の灯を万博に」の記念すべき若狭幹線はその記録映画が作られた 社内の各部署で撮影が行われた 仮組検査の場面、    
    エキストラで出演し、ご指示を受けているシーンを 時既に若狭の鉄塔はなく、他電力の大型鉄塔の前での撮影であった    
  データ処理(電子計算機の利用)          
    ◆日本アイ・ビー・エムのデータセンター機の利用        
      上記のFortranによる開発は、専らIBM機を利用して行なっていた      
      ・IBM 7090  (1965〜1967/2) 東京センター機を利用 10時と18時の一日二回の受付 伊丹〜羽田は日航機(DC-4型機?)    
      ・IBM S/360-M50 (1967/2〜) 大阪データセンター(順慶町/上山ビル:現存 現南船場2)に電算機が設置され、随時の受付が可能となる    
      ・IBM S/360-M65 (1970〜)   大阪データセンター        
    ◆その他の利用            
      ・鉄塔設計の実施業務は、IBM、のちにKECを利用        
      ・プロッター作画(1972〜)は、IBMJAIS、のちにKECを利用       
      ・有限要素法による構造解析(NASTRAN)は、IBMJAISを利用 のちに関電総合技術研究所でSTRUDL    
      ・給与計算はIBM(1968)とKEC(1969〜)に委託        
      ・鉄塔部門の工数集計は、KEC(1971/4〜)に委託        
    ◆IBM 29穿孔機導入     (1968) データ作成などの増大に対応 のちにJUKI機に変更       
      従来はデータセンターに出向き、センターの穿孔機を使用していた そのため、ユーザー間での穿孔機の取合いがあった    
      また、データシートに記載された内容の確認・修正などは、センター・社間の電話で行なうなど、不便が生じていた    
      穿孔機の導入に伴い、カーペット敷きのパンチ室が新設された また、腱鞘炎防止や眼の健康保持のため、連続50分    
      打鍵後、10分の休憩を取ることを基本とした (社会的問題となっている社保庁のサボリ労働協約とは全く異質のもの)    
    ◆取引先企業の沿革と思い出          
      IBM            
       1937 日本ワットソン統計会計機械株式会社設立         
       1950 日本インターナショナル・ビジネス・マシーンズ株式会社に社名を変更       
       1958 わが国初の電子計算機650を納入           
       1959 日本アイ・ビー・エム株式会社に社名を変更        
       1964 東京オリンピックの競技結果の集計に協力、システム/360を発表       
       1970 日本万国博覧会(大阪)に参加、システム/370を発表       
       1971 野洲工場(滋賀)、現本社ビル(東京・六本木)完成         
       詳しくは「計算事情」に書きますが、先ずは、耳慣れない片仮名が沢山出てきて、本当に困りました 親父に反して英語が    
       苦手となってしまった身には、ただただ訊き直し、意味を問い、覚えるしかなし状態 でも、当時のデータセンター諸氏、  
       本当に親切に教えてくれました 電算の原点は、正にここです     
       また当時は、おおらかなもので、機械室に入れて貰えたし、営業の部屋にもね そこで、社を担当した以外の人たちとも    
       親しくなりました ある営業担当の結婚式に招かれ、司会者からは「海千山千のお客様を代表して・・・」と紹介されて    
       祝辞を 「海千山千、経験豊富な皆さん方のお陰で、今のわたしがあります・・・」と和気合い合いでした    
       115の導入後、野洲工場を見学 ただただその広さにビックリでしたね     
      KEC            
       1967/4 (株)関西総合電子計算センター(KEC)設立 (尼崎市若王寺・関電総合技術研究所敷地内)       
       1992/6 関電情報システム(株)(KIS)に社名変更         
       2004/10 KISとKTTの合併により関電システムソリューションズ株式会社発足       
        └1986/05 (株)関西テレコムテクノロジー(KTT)設立       
       2007/7 ケイ・スクエアと合併           
        └2001/10 (株)ケイ・スクエア(K-SQUARE)設立      
       1970(昭和45)年の大阪万博以降に取引が始まったと思うが、詳細は忘却の彼方 多分、KECの方から電力さんを通じて・・・  
       KECに設置されているIBMの大型計算機は、昼間は電力さんの給電管理システムが動いていますが、0時を過ぎると    
       システムの切り替えが行われ、検針票の集計などの処理をします その切り替えの間に負荷の少ない時間帯が出来ます    
       その時間帯に、御社の計算処理を走らせることが出来るのですが・・・とのお話がことの始まりでした    
       先ず有り難かったのは、夕方データを渡し、夜間処理をした後、翌朝届けてくれるという、寝ている間に処理が、でした     
       各営業所に集まった検針票を、尼崎のKECまで運ぶ便が幾コースかあり、その和歌山便が立ち寄ることになったのです  
       一方、検針票の集計結果を各営業所に運ぶ便は早朝に尼崎を出発するので、丁度よかった訳です 勿論計算料もお安くて    
       プログラムミスで番地例外が発生し、システムを止めてしまったことがありましたね そうそう、親睦ボーリング大会が    
       定例的にあって、ある時、アベの高い何人かが軒並み調子が悪く、一方こちらはいつもは120ほどなのに、何故かしら    
       調子が良く、アベ198で優勝してしまいました 持ち回りの優勝トロフィーに名前が書かれたリボンが・・・    
      JA IS            
       1969/2 住友銀行から分離独立し、日本情報サービス株式会社(JAIS)設立  (大阪・鰻谷 現島之内)      
       1989/12 総合研究本部を新設を機に、株式会社日本総合研究所と社名変更      
       多分、設立後間もなくであった思うが、鉄設を一年で退職したかつての同僚が、訪ねて来たのが始まり 退職の理由は    
       主に家庭の事情ではあったが、少なからず影響したのは、オレにも分からん氏の言 当時の設計、機械科出身者が殆ど    
   そこへ基礎工出身者が配属されたので、「実戦に向かんもんに来てもろてもなあ 給料安い高卒二人をくれる方がよっぽど役に立つ」と   
       そんなことで、一度は家業を継いだのですが、時をおき、電算屋に      
       初めてのプロッター作図開発では、大変お世話になりました 料金は勿論、IBMよりは安いですし、まだお客さんも    
       少なかったので、好きな時間に好きなだけ使えました プロッター作画料金はどことも作画開始から終了までの時間に    
       分単価を掛けていました つまりは、ある描画を終え、次の描画位置に向かうまでペンを上げて移動しますが、これも    
       料金のうち そこで、一筆書きの要領で、基本は、文字を左から右へ、あるいは上から下へ書くと、その帰り道で線を    
       引く、です ですから、作図が始まると、ペンが用紙の上を走る音が「キュックキュック」と鳴りっ放し 本体自身も    
       大揺れに揺れていました 「これまで見た作画とは全く違いますね 凄いです」と感嘆の声 暫くして、「お願いが」と    
       「殆どがペンダウンで動いているのを初めて見ました 他のお客様にサンプルとしてご覧頂きたいのですが・・・」と    
       上司の許可を得て、作画データの入っているテープはJさんが保管され、折に触れて・・・      
      JUKI            
       1938/12月 東京重機製造工業組合発足           
       1943/9 株式会社に改組し、東京重機工業株式会社と改称         
       1947/4 家庭用ミシンの製造販売を開始(ジューキミシン)       
       1953/3 工業用ミシンの製造販売を開始           
       1961/2 電子計算機周辺機器の製造販売を開始         
       1988/4 社名をJUKI株式会社(登記商号ジューキ株式会社)に変更       
       2005/7 登記商号をジューキ株式会社よりJUKI株式会社に変更       
 堺工場電算室 1972(s47)/4〜1974(s49/12) <2年9ヶ月> ☆情報処理部門の発足        
  情報処理部門の立ち上げ          
    ◆設計部門の電算化の推進          
      ・鉄塔以外の「設計部門の電算化の推進」を目的とし、鋼管・水門・橋梁・鉄塔から各1名を選抜、堺工場長直轄の組織が発足 1972.5 沖縄本土復帰
      ・鉄塔設計で行なわれていた外部センターとの窓口業務を移管     6 「日本列島改造論」発表
      ・各種手続きの明文化を実施   後に役員になられた工場長、何かに付けお世話になった    
  Fortranによる送電鉄塔の設計業務関連のプログラム開発        
      ◆据付寸法図の作画       (1972) 寸法は自動計算(1965)となったが、作図は手作業のままであった                     
        プロッターによる自動作画を社で初めて行い、大幅な工数削減と作図ミスの低減に貢献                     
        これを切っ掛けとして、基本設計(塔体・腕金)図・製作図・ガセットプレートなどのプロッター化が一気に図られた                    
        標準文字は角ばった英数字 カタカナはKECから提供を受けた ひらがな(KECへ提供)、丸みを帯びた数字、漢字を作成                    
      ◆塔体寸法計算の機能拡充                     
      ・送電鉄塔の大型化や関電以外の鉄塔により対応するための改良を実施      
    ◆他の開発の主なものは次のとおり          
      露出水圧鉄管設計(1972〜) 球分岐補強環設計(1972〜) 送電鉄塔材料取合(1972〜) 送電鉄塔型板作図(1972〜)     
      送電鉄塔中間下部製作図作図(1973〜) 単純活荷重合成桁設計(1973〜) 橋梁材料計算および取合(1973〜)     
  PL/Iの採用            
    ◆工数集計プログラムの開発  (1974/6〜)        
      製造部門の工数集計は、鉄塔部門はKEC(1971/4〜)に委託 鉄塔以外は社内でパンチカード方式を使用(誤集計が頻発)    
      鉄塔の工数集計をIBMデータセンターのOCR(光学式読取機)を利用することを機に、集計プログラムをPL/Iで開発    
       当時IBMでは従来の事務処理用COBOLと科学技術計算用Fortranの良いとこ取りをしたPL/Iを開発、普及に努めており、    
       新入社員教育でも、COBOLFortranは実施せず、PL/Iのみに絞っていた      
      今後、事務系の開発も予想されていたため、事務技術両方で使えるPL/Iを採用、社で初めてのコーディングとなった    
      しかし、20余年後、これが思わぬことに・・・        
  データセンター利用            
    RJE(Remote Job Entry:遠隔入出力式処理)        
      IBM、JAIS、KECの三つのセンター(IJK三社)を利用していたが、電電公社(現NTT)の電話網(公衆回線)をデータ通信での使用も可と 1973.1 ベトナム和平協定調印
       した法律の施行(1972)により(規制緩和第一号?)、カード読取機と印刷機を置き、遠隔地からの計算処理が可能となった   5 資本自由化
       IBMJAIS、日本ユニバックの三社から提案(1972)があり、検討の結果、IBMの大阪データセンターと結ぶこととなった   12 石油危機で緊急事態の
      IBM2780データ通信端末装置(1973/12/13〜)回線速度1200ボー(音声モデム) センター機:IBM S/360-M65      対策決定
       カード読取装置と連続用紙印刷装置が一体となったもの (当初は300ボー、続いて800ボーを使かったかもしれない)    
      IBM3780データ通信端末装置 (1974/4/22〜)回線速度1200ボー(音声モデム) センター機:IBM S/360-M65     
       回線速度および印刷速度の向上          
      モデム:MOdulation/DE-Modulation(変調/復調)        
       音声回線に電算信号(01信号)を乗せる訳ですから、通信中はピーピーガァガァと煩い音が鳴っています     
       この時代からは少し後の1981(昭和56)年に発売されたNECのPC6001、覚えていらっしゃいますか      
       Z80コンパチ(compatible)の8ビットCPUの家庭用パソコン プログラムの記憶媒体としてカセットテープが使われました    
       データを読み書きする時に、ザ〜ジ〜ガァ〜と音が鳴っていましたよ(音声モデムの動作音)      
      ◇日本ユニバックの沿革          
       1958  日本レミントンユニバック(株)設立(後の日本ユニバック)        
       1971  日本ユニバック東証ー部上場に指定替え          
       1988 日本ユニバック(株)/バロース(株)の統合により日本ユニシス(株)発足     1974.2 全国消費者物価、
    ◆日本アイ・ビー・エムのデータセンター機の性能向上         前年同月比26.3%上昇
      IBM370/165  (1974/7〜) 大阪データセンター(大阪事業所:現存 現靱本町1) 順慶町から移転       「狂乱物価」
       旧機65と新機165との性能及び料金比較のため、朝一でサンプルJOBを送るも実行せず      
       順慶町から引越しの際、業者がはデータモジュール(ハードディスク)を何かにぶつけ、損傷したらしいことが判明    
       急遽、保有する全プログラムの再コンパイル、実行モジュールを作成      
       復旧後、サンプルJOBを実行 新価格は当然、処理費用が安くなるよう設定したとの発表であったが、反して値上りに    
    ◆データセンター処理価格交渉  (1974/7)          
      ・上記サンプルJOBは当然、社で頻繁に処理されるもの選んでいたため、強力に価格改定を申し入れ、IBM側も    
       65機での処理実績に基づくシミュレーションの結果、価格改定を実施した      
       当時、社は同業他社とともに、大阪でのRJEのビッグユーザーであった (何事も上位でなければを実感)    
    ◆センター機データのバックアップ  (1974/8〜)        
      ・上記の引越し事故を契機に、データセンターの社専用ディスクのバックアップを月一回行い、それを住友銀行本店の    
       地下の耐火大金庫に保管することになった 当初は、2400ftの磁気テープ2本で済んだ       
       この苦い経験が、パソコンを使い始めてからも、折に触れ、バックアップを取る習慣に結び付いている      


                  
          サイトマップ ホーム > 思い出あるばむ > 「のんちゃん」って!? > お仕事年表              
                                   
                                   
Copyright 2007 Non-Chan Osaka,Japan