おっきいもの
平成24年10月20日 更新


『MC鉄塔物語』、1972(昭和47)年以降が脱稿し、完結しました(短路は、こちらです) 


永源寺ダム伊勢幹線・南近江線
平成22年6月6日(日)

東近江市の永源寺近くの「相谷熊原遺跡で縄文時代の土偶が
見つかり、その足で永源寺ダムを訪れました。
そこで、伊勢幹線を遠望、行き帰りには、南近江線などを見る
ことができました。
本来は遺跡の頁ですが、旅日記として書いていますので、
[ 思い出あるばむ ]からお入りください。


大飯発電所道中記
平成22年8月26日(木)

2010(平成22)年のこの日のblogに掲載しています

丹 生 の 夕 暮 れ

平成23年3月12日(土)・13日(日)

この日のblogがようやく脱稿しました(H24/08/08)





平成23年3月12日、敦賀半島は丹生の浜から美浜発電所を眺めていました
本来なら、万博に原子の灯を送った発電所を初めて目にするのですから、やっと思いが叶ったと喜び勇んでいるところですが、妙に重苦しい気分でした
前日、14時46分、東日本大地震が発生し、福島原発も大きな被害を受けていたからです
美浜からの若狭幹線、福島第一からの福島幹線の送電線建設で、鉄塔の設計をし製作にも携わった者として、複雑な思いは当然でした


お仕事年表 社会人になる前の大仕事「卒業研究」は『MC鉄塔物語』にあります
算盤・計算尺の時代からパソコンの時代までの凡そ40年(H19/9/19 新規)
身近なところにある大きな構造物をご覧下さい(H18/5/25 新規)
先ず初めは1970(昭和45)年に建設の木津川水門。引き続き、明石海峡大橋の予定です。
新大阪駅 木津川水門 夢舞大橋 明石海峡大橋 ポートタワーと観覧車




今から40年前の1965(昭和40)年4月5日(月)
一人の技術屋の卵が、堺臨海工業地帯の埋立地にある某金属製品製造業の堺工場の門をくぐった
本社での一週間の研修を終えた後に配属された「堺事業部鉄鋼設計課」での勤務のためであった

それからの37年半、平成2年春からの3年間の関西電力系技術会社への出向の時期を除いては
この場所を離れたことはなかった 計算尺と手回し計算機による設計関連業務を、新たな道具を
利用し、早く間違いなく進める改革に取り組むことになろうとは、知ろうはずもなかった・・・

1904(明治37)年2月17日、水圧鉄管の製造を生業とすべく産声を上げたこの会社は当時
大阪市内の本社工場で、水圧鉄管・水門・パイプライン用鋼管・高圧力容器などを製造していた
一方、堺工場は1964(昭和39)年、住友金属和歌山工場内にあった鋼管鉄塔部門が新天地に
移設され操業が始まった 日本の至る所に新生日本を担う臨海工業地帯が次々と姿を現し始めた
頃で、大阪府企業局も堺以南の海を埋立て、堺・泉北コンビナートを造成、企業を誘致していた

高度経済成長の波に乗った「重厚長大」製品は、国土建設に重要な役割を果たしていた それが
いつの頃からか「軽薄短小」へと変わり始めた また、学生の理科離れや3K(きつい・きたない
・きけん だったかな)職場が敬遠されるようにもなってきた それに拍車を掛けたのが「人件費」
高度経済成長下の日本では割に合わず、賃金の安い周辺諸国へと「ものづくり」は流れていった
そういえば、伝統工芸品の匠たちにも後継者が見つからず、惜しまれながら途絶えた技も数多く
ある 「ものづくり」を取り巻く危機が、じわりじわりと確実に日本中に浸透していったのだった

昨年、創業100周年を迎えるはずであったこの会社は、公共事業抑制や電力需要の低迷の波を
まともに被り2003(平成15)年秋、民事再生法適用申請を所轄裁判所に提出 100周年を
過ぎた5月下旬、100%減資を行い消滅 新たに送電鉄塔の保守事業に特化した会社となった

数多くの先人たちが築き上げた幾多の技を、また、新たに生み出した技術の数々を、次代に継承
出来なかった悔しさを言葉には言い尽くせない しかし、大型構造物として、日本のみならず、
海の向こうでも、その変わらぬ姿を保っていることは、大いなる誇りとして皆の胸からは消える
ことはない 人が作り出した全ての物、誰かがその形を考え、図面を引き・・・ しかしながら
地図に残る仕事は誰しもが出来るものではない 大地に踏ん張っている『おっきいもの』万歳!



代表的な「おっきいもの」

水圧鉄管:関西電力・奥吉野揚水発電所 東京電力・玉原揚水発電所
     日本全国の電力会社および台湾・ベトナムなど海外へも輸出

水  門:大阪市・木津川防潮水門(バイザーゲート)
     日本全国の電力会社および水資源公団など

橋  梁:関西電力・喜撰山発電所アーチ橋 関空会社・空港絡橋
     日本道路公団はじめ主要道路公団および地方自治体など

鉄  塔:関西電力・若狭幹線 東京電力・福島幹線 NTT・無線鉄塔
     国内9電力会社および各地の共同火力、電電公社など


1928(昭和3)年10月に完成した関東電気(現東京電力)の佐久発電所

この工事の現場製作と据付を担当しましたが、請負金額は当時のお金で
約100万円。また、重量は水圧鉄管が5000トン、サージタンクが
1100トンにのぼる画期的なものでした。1928(昭和3)年10月
5日に通水式を行い、11月30日に運転が開始されました。時に関東
水力電気 浅野社長 81歳。その完成をみることなく前年4月10日に
他界した浅野夫人、作子の雅号佐久をとり佐久発電所と名付けられまし
た。佐久発電所は、群馬県勢多郡北橘村真壁(当時の地名)にあります。
国鉄上越線の列車が渋川駅に近づくと、上毛三山と対立してそびえ立っ
ている、この発電所の名物サージタンク(高さ約80m)が銀色にさん
然と輝いて見えていました。このサージタンクの取替工事を再び請け負
い、1988(昭和63)年に竣工しました。       (下の写真)
         (写真および文章は社史「75年のあゆみ」から)

取替工事で旧サージタンクを解体しましたが、そこには戦争中の米軍の
機銃掃射の弾痕があり、その部分は20cm四方ぐらいに切取り会社で
大切に保管しています。         ―平成12年2月27日―




『東京電力・玉原揚水発電所』




『大阪府・木津川防潮水門』





『関西空港連絡橋』





『関西電力・大阪火力発電所の煙突』


ここまでの枠付き写真は、会社案内カタログから




『若狭幹線』

1970(昭和45)年、大阪・千里丘陵で開かれた「万国博覧会」
「原子の灯を万博に!」のスローガンで、関西電力・美浜原子力発電所から
大阪地区への500kVの送電線『若狭幹線』の建設の一翼を担いました。


1968(昭和43)年、設計と製作を担当したG型鉄塔の現地での
組立の様子 鉄塔の真ん中あたりにある黒い影は、建設作業員です



2008(平成20)年11月 設計をしてから40年を
経た今も、しっかりと大地に足を踏ん張っていましたよ




現「京北開閉所」の烏帽子型鉄塔

電線は、両側の腕金端部と梁部の真ん中に引き留められます
積雪地帯では、電線に付着した雪(固まって氷になる)が落ちると電線が上下に大きく波を打つ(スリートジャンプという)ため、通常見られる鉄塔のような縦に電線を配置するのではなく、横に並べる これを水平配列と呼んでいる
京北開閉所から南側は上の写真のG型鉄塔のように、塔体の両側に電線を乗せる四角鉄塔である
若狭幹線は二回線送電のため、烏帽子型鉄塔の区間は、この形の鉄塔が横に並んで建設されている




烏帽子のてっぺんでの一こま(右がわたし)



『PKc型鉄塔』


1970(昭和45)年に設計・製作を担当した
東京電力・第二東京中線のPKc型鉄塔
(完成直後の姿)



某画像掲示板で、思いがけず今の姿を!



HALさんが、2005(平成17)年3月19日(土)に撮って下さいました
35年経った今の姿に、大感激です!!
HALさん、沢山の写真をどうも有難う御座居ました

そして1年後、HALさんのご先導で、現地に!!


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MC鉄塔物語 完結 平成24年10月20日(2012)
「丹生の夕暮れ(美浜発電所)」 blog脱稿 平成24年 8 月 8 日(2012)
「大飯発電所道中記」 blog脱稿 平成22年 9 月 6 日(2010)
「お仕事年表」 更新 平成19年 9 月 9 日(2007)
PKcとご対面 更新 平成18年 6 月28日(2006)
おおきいもの・木津川水門 更新 平成18年 5 月25日(2006)
MC鉄塔物語 開始 平成17年 8 月25日(2005)
送電鉄塔って 更新 平成17年 7 月12日(2005)
PKc型鉄塔 更新 平成17年 5 月19日(2005)
改編 平成17年 4 月20日(2005)
作成 平成12年 2 月27日(2000)

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