「BトレインショーティーのNゲージ化」物語

はじめに
ひょんな切っ掛けで、20年ぶりぐらいに鉄道模型で遊ぶことを再開。そして、時をほぼ同じくして知った「Bトレインショーティー」なるもの。それをNゲージとして走らせることに挑戦した悪戦苦闘の出来事(ちょっと大袈裟!?)を物語風に書いてみました。
最後まで、お付き合い下さい。

・鉄道模型との付き合い
幼少の砌、50円のトロッコの木製キットを組み立てたのに始まる。1mの角材3本を買い、1本を短く切り枕木にしてレールを作り、片方の端を本に載せ、坂道を転がした。この時のゲージは、「0」で、今も車輪が一軸残っている。


直線レールだけでは飽き足らず、分岐器を作った覚えもある。作り掛けで寝たところ、明朝見れば、ほぼ完成。親父が手を入れてくれたようであった。

左の写真、小六の時のもの。弟が持っているのは金属車体のED16。結局、塗装もせずモーターも買えずだった。勿論、三線の線路もトランスも。もっぱら、DT何がしかの台車一組と屋根板・底板を何回も何回も転用して車輌を自作した。この写真は何台(代)目のものなのか、思い出すには時が流れ過ぎた。
HOに切り替えたのが何時であったか、これとて忘却の彼方。
上の写真は高校の文化祭で金属車体のクモユニ81を線路に載せるわたし。クハ86やモハ80はファイバーキットを組み立てたが、何両だったのか。大きな箱は制御器で、セレン整流器を購入し半田で組み立てた。分岐を二基持っていたが、手動。この文化祭の時は、復元用のばねを取り付け、他の一方はたこ糸を手元まで引っ張って、転轍機の真似事をした。
Bタンクを買い、それ用の60×40cm程だったか、固定式レイアウトも作った。もちろん、山あり川あり、急勾配あり。橋は単純桁をファイバーで作った。補剛材などもしっかりと作り込んだものである。

そして、大学に入ったその頃、関水金属がNゲージなるものを発売し、その小ささに引かれて、C11やオハ31などを早速購入し、宗旨替えをした。


裏に発売中の全製品名が印刷されていて、横に製品番号が示されている


オハニ30とキハ20


凡そ45年前の車輪 左が絶縁側、右が通電側

1.5×3.0mぐらいの組立て式固定レイアウトも作り、白鳥やあさかぜを走らせた。新幹線車輌は唯一、お気に入りの100系を購入し、二階建て車輌にお客さんを、先頭車には運転士も乗せた。車輌総数は、200輌ほどになっているはずである。
一番最後に買った車輌は、JR西の221系。国鉄時代には考えられなかった姿がとても気に入った。
それから暫くして、レイアウトは片付け、お蔵入りとなった。


レイアウトの一部のトラス橋とそれを挟む高架橋
カントも付けた 最近やっとカント付き線路が出ましたね

時が流れ、昨2006(平成18)年6月、いつも出掛ける量販店に突如、鉄道模型コーナーが出来、改装開店記念で、定価の2割引(殆どお店がそうですね)が更にレジで1割5分引き、つまり6割8分。長い間眠っていた獅子が眼を覚ました。
折りしも、なかなか出現しない南海の車輌が、Bトレインショーティーなるもので発売されることを知り、懐かしい京阪特急などとともに購入した。もう少し早く知っておれば、新京阪(阪急)のデイ100も手に入れられたのにと、とても残念ではある。
これを機会にNの方も、満鉄・あじあ号や近鉄・ビスタカーなど、歴史的な車両を中心に集め始めている。



        


鉄道模型 簡易N化 付随車輌 動力車輌 試 運 転

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作成 平成19年 7 月13日(2007)

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