惜別 夜行寝台列車   何処で撮ろうか

2008(平成20)年2月15日(金)


3月15日のダイヤ改正でまた夜行寝台が消える
風前の灯となった"ブルートレイン"を撮り
ました



4週間に一度の金曜日は、大阪の南部に出掛ける
その午後何かあれば組み込み、市交の600円で
(ノーマイカーチケット)移動することことが多い
この日は、消えゆく寝台列車を撮る下調べをしに
新大阪駅の直ぐ南にある歩道橋へと足を延ばした


歩道橋の西側から


「なは・あかつき」のアングル


歩道橋の東側から


「日本海2号」「銀河」のアングル


新大阪駅の直ぐ南にある歩道橋へと足を延ばした
この時は人一人居らず自由に動き回れたが、本番
撮影は午前7時過ぎ どれくらいの人が居るのか

このあと、淀川右岸に向けて歩いて行った












淀川右岸に到着 歩道橋を離れて20分近くが経っていた



淀川右岸の東側から


「日本海2号」「銀河」のアングル


「なは・あかつき」のアングル


淀川右岸の西側から


「なは・あかつき」のアングル



調 査 結 果

新大阪歩道橋は、3列車とも撮れるが、どうしても架線が邪魔をする
特にホーム側(北側)は顕著で、当日の立つ位置の要素が非常に大きい

淀川右岸までの道筋は、上り列車の「なは・あかつき」は全く撮れない

淀川右岸の東側は、下り2本は撮れるが、上りはトラスが邪魔になる

淀川右岸の西側からは、上りのみだが、トラスが邪魔になってしまう


結局のところ、3列車全てとなれば、新大阪歩道橋にせざるを得ない


撮った写真の何枚かを添付し
ovalさんにメールで報告


ここで、今回のダイヤ改正で消える3列車の時刻表を
JTB時刻表の2007(平成19)年4月号による




特急には戦前から愛称が付けられていたが、急行列車にに初めて付けられたのが「銀河」。1949(昭和24)年のこと。そして、翌1950(昭和25)年に「日本海」の名が。有名な「ヨンサントウ」(1968/10)で、日本海は寝台特急に昇格。

このヨンサントウで登場したのが「なは」。但し、新大阪〜西鹿児島間の昼行気動車特急。
1973(昭和48)年10月のダイヤ改正で485系電車に。そして、1984(昭和59)年2月1日のダイヤ改正で、24系寝台客車列車に変更。
一方の「あかつき」は、1965(昭和40)年10月1日のダイヤ改正で新大阪〜西鹿児島・長崎の寝台特急として登場。
2005(平成17)年10月1日のダイヤ改正で、京都〜鳥栖間で、両列車の併結運転となった。


この3列車の中で乗車経験があるのは2列車。

最初に乗ったのは「上り日本海」。
1964(昭和39)年6月に起こった新潟地震の2週間後、当時はまだ急行だった日本海の座車に友2人と共に。
土木の4回生だった当時、視察と云うほどの大袈裟なものではないが、被災地に足を踏み入れた。


復旧作業中の新潟駅

その翌年の春、社会人となり、送電鉄塔の設計や製作の仕事をするようになり、東京電力さんにもお世話になった。
福島原子力発電所からの福島幹線(だったと思う)の打合せが午前9時からで、新幹線は既に走っていたが初発の6時に乗っても間に合わず、急行「銀河」の三段式寝台の上段で進行方向と直角に横になった。揺れで頭が上がったり下がったり、なかなか寝付かれなかったことを覚えている。
その後の打合せは「ひかり」が3時間10分運転になったこともあって、10時または13時からに。
後にも先にも一度きりの夜行寝台列車の寝台体験の貴重な一こまであったが、既に忘却の彼方である。




        


何処で撮ろうか 新大阪・歩道橋  宮原総合運転所 梶原の築堤 最後の走

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惜別 夜行寝台列車 作成 平成20年 3 月15日(2008)

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