さよならボンネット特急「485系」    大阪駅
トワイライトエキスプレス サンダーバード ほか
2003(平成15)年9月20日(土)・21日(日)

鉄道が出来た初期の頃は、貨車は勿論のこと客車も小さく、車体の長さは短く、その足回りは2軸台車であった。勿論それそのものには推進装置はなく、蒸気機関車に牽引されていた。(蒸気客車?なるものが試作されたことはあったが) 鉄道が普及し客車が大型化(車体長の増加=車体が長くなる)することにより、2軸台車では曲線部の通過が困難になり、ボギー台車が開発、実用化された。通常は2軸ボギー台車であるが、優等客車はその構造が複雑な3軸ボギー台車を履いて乗り心地を良くしていた。


幹線区間が電化され、中近距離輸送が電車化されても、長距離は電気機関車に牽引された客車列車が走っていた。これは、乗り心地(快適性)の面ではどうしても客車が勝ることに起因していた。即ち、電車は電動機(モーター)を搭載し、それを動かすための電気機器類が床下に収納され、それらの騒音や振動が客室内まで伝わり、乗り心地を悪くしていたためである。

しかしながら、機関車による列車の牽引にも欠点があった。一つは終着駅での機関車の付け替えである。折返し運転を行うためには機関車を今まで連結していた客車(今までは先頭車、折り返し後は最後尾車になる)から切り離し、機関車を今までの最後尾車の先頭に連結する必要がある。蒸気機関車の場合は、機関車の方向を180度回転させねばならず、そのための設備として転車台(ターンテーブル)が設けられていた。更に優等列車、即ち特別急行列車「つばめ」「はと」の場合は、最後尾に「展望車」を連結していたため、列車全体を180度方向変更をしなければならなかった。そのために設けられたのが、三角線である。大阪駅付近を模したもので、方向転換の概要を説明する。@大阪駅に到着した「つばめ」は、回送列車として神戸方面に出発し、A塚本駅の先にある三角線まで走行する。Bここからは推進後退で北方貨物線に入る。C北方貨物線から牽引前進で大阪駅に向かう。こうして180度向きを変えた列車となるのである。同じことが東京駅でも行われていたはずであるが、どの線を使用していたのか残念ながら知らない。
また、機関車の1両の重量は100tにもなり、レールに掛かる重量(軸加重)が大きく、線路を傷めることにもなった。その点電車は、列車の両端に運転室を持った車両を配すれば180度の方向転換の必要もなく、又、機関車に比べ身軽で、重量分散に因る軸加重の軽減や加減速加速度の向上、最高速度の向上などダイヤ編成上も断然有利であった。あとは、長距離乗車に耐え得るよう乗り心地を改善することであった。

長年に亘るたゆまぬ研究と技術の向上によって騒音・振動の軽減が可能となり、1958(昭和33)年11月1日のダイヤ改正で、とうとう東京-大阪間の特別急行列車に「電車特急」が登場したのであった。
その名もビジネス特急「こだま」として誕生した20系は、客室に騒音と振動をもたらす電気機器類を編成両端の運転室前方のボンネットに収め、あの独特の形となり、他の電車とは全く異なる「電車特急」の姿を確立したのであった。その後、車両形式表記の変更によって151系と呼ばれるようになった。
直流区間を走る151系は、それまで客車特急であった「つばめ」「はと」の電車化に充当され、「富士」や「おおとり」などが誕生した。1962(昭和37)年には上越線の直流山岳区間を走れるよう改良された161系「とき」が誕生。そして、1964(昭和39)年には、北陸線(交直両区間・交流60Hz)用に481系が登場したのであった。
481系が登場した1964(昭和39)年、10月1日の東海道新幹線の開業により余剰となった151系と161系は改造され181系(161系改造車は40番台、新製クハ181は100番台、クハ180は0番台)となった。

さて、ボンネット特急「こだま(20系)」は、誕生の翌年の1959(昭和34)年7月に藤枝−金谷間で、東海道新幹線建設に向けての電車列車走行試験を実施し、7月31日、当時の狭軌鉄道の世界最高時速163kmを記録した。
これに使用された列車は近畿車輛が製造した「クハ26004・・・クハ26003」編成であった。その後、「クハ151-4・・・クハ151-3」と改称され、更に「クハ181-4・・・クハ181-3」となった。
この編成には、世界記録達成の記念の「チャンピオン・プレート」が付けられた。
撮影時期が定かではないが、記録達成後、そんなに間を置かずであったと記憶している。


大阪駅の「富士」
連結器カバーの上の逆台形が「チャンピオン・プレート」


宇野駅(?)の「うずしお」
連結器カバーがなく、スカートの形状も異なっている


クロハ181-3(Nゲージ)
一方、交直両用の481系は、1965(昭和40)年に東北本線用(交流50Hz)の483系(新造先頭車はクハ481を名乗る)が製造された。その後、50・60両Hz用として1968(昭和43)年に製造された485系(新造先頭車はクハ481を名乗る)へと発展していった。大阪から北陸方面の電車特急は、前出の通り当初481系であったが、新造された485系も投入された。

解体中の「クハ481-118」
2003(平成15)年7月27日、吹田工場にて撮影。この車両は1972(昭和47)年7月、川崎重工で製造され、青森運転所に配属されたが、翌1973(昭和48)年1月に向日町運転所(現京都運転所)に転じ、他に移ることはなかった。
これらの○○1系はボンネット型であるが、電気機器類の小型化や高性能化が進み、従来のように床下に格納することが可能となり、○○3系以降(クハ489は横軽区間のEF63との協調運転用ボンネット型)は電気釜型(鼻ベチャ型高運転室)となった。また、485系増備の際に製造された電気釜型クハ481は200番台以降の車番が付けられてボンネット型と区別されている。

これまでに示したように、クハ481ボンネット型車両は、481系・483系・485系登場時に製造され、その時々の使用線区を区別するため、赤帯を付けたり、赤ひげを付けたりして、様々な表情を見せてくれた。変り種としては、クハ181から改造され、九州で485系の先頭に立ったクハ481も500番台車として2両在籍した。

1964(昭和39)年に初登場し、増備を重ねた481ボンネット型先頭車も経年劣化には勝てず順次廃車され、JR西日本所属車はとうとう、「さよなら運転」の時を迎えたわけである。

この結果、ボンネット型先頭車は、上野−金沢間の夜行急行「能登」として運用している489系を残すのみとなった。

(系の変遷や特急名、使用線区などの誤記述等、お気付きのことがありましたら、是非ご連絡ください)



特急「懐かしの雷鳥」

1964(昭和39)年12月〜1975(昭和50)年3月までの
運転経路である米原経由で設定された。現在の北陸方面列車は湖
西線経由で、19.5kmの短縮となっている。更に高架のために
踏切がなく最高時速130km運転が出来るため、時間にすると
30分以上の短縮効果がある。              


9月20日(土) 大阪←富山


9月21日(日) 大阪→富山


列車編成


(ダイヤ及び列車編成図は、JR西日本のページを参考に作成)



2003(平成15)年9月20日(土)
雷鳥の到着は、12:02



特急雷鳥の到着までには時間があるので、10番ホームに足を運びました。


12時発札幌行「トワイライト・エクスプレス」
牽引機は、EF8143


1989(平成元)年7月に運行を開始
「ロイヤル」「スイート」はプラチナ・チケット


11番ホームに回りました


11:42発富山行「サンダーバード19号」が入線していました




サンダーバード19号 発車








EF8143+カニ24(電源車)+オハネフ25・・・



それでは、そろそろ参りましょうか!


        

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