☆ 昭和32年の伊丹 
昭和32年(1957)、今の伊丹空港からは、想像もつかない写真をご覧ください。地面は舗装もされていませんね。針金二本の簡単な柵が見送る人と搭乗する人を分けるだけです。日本航空のDC-4型機と、わたしと4つ下の弟の後姿です。DC-4の尾部に転倒防止の縦棒が見えています。
本当にのんびりしたローカル空港風景ですね。となりは、先日新装開店した伊丹で撮った、格安運賃のスカイマーク二号機・マイクロソフト塗装機を並べました。42年前に誰が今の伊丹を、ジェット全盛時代を想像したでしょうか。
ほぼ同じ角度で撮っているのが山の稜線で分かります。


平成16年3月1日 追記
玉親父さんから、昭和30年代の伊丹空港の貴重な写真をご提供頂きました。この場を借りて、厚く御礼申し上げます。


左は日本航空の建物 中央に「国産乗用車」の『トヨペット クラウン』 右は全日空機
まだまだ外車が幅を利かせていた時代 ナンバープレートも懐かしい


日本航空の玄関
記憶に間違いがなければ、右の少し離れた場所に全日空の建物があった
一番上の写真は、その全日空のスポット側だったような気がする


日本航空のDC-6 こちらは立派な柵で囲われ、テーブル・椅子もありますね



平成16年3月15日 追記
目玉親父さんから、新しい写真が見つかったと送ってくださったのが、これ!
毎度ありがとうございます。


全日空のエプロン側からのひとこま
自動車のナンバープレートも懐かしいです
この全日空、平屋だったような気がするのですが
ご存知の方、いらっしゃいませんか


道 頓 堀 の ネ オ ン

 そして、その頃の大阪は道頓堀のネオンサインです。一番左に「グリコ」のネオンが見えます。このときのランナーは立体人形だったのですね。足元に一粒300メートルの文字も見えます。左へ「いろは」、時計の「セイコー」、「北海道・クローバーバター」、「パンビタン」、「ドウトン」と続きます。





修学旅行で乗った船
中学校の修学旅行は、「東京」がお決まりでしたが、わたしの学校は讃岐の金毘羅さんへ。そのときに乗った関西汽船の「須磨丸」と、大阪港の灯台です。

   



小学校の修学旅行は「伊勢」です。近鉄の上六から宇治山田まで3時間以上も乗っていてと思います。当時は、まだまだ食料難でしたから、旅館での夕食と朝食のご飯用の「お米」二合持参しました。そう言えば、甲子園に出場した球児たちも米持参ですが、予想外に勝ち進んで米が足らなくなったチームに、その反対のチームの選手たちが、米を手渡したことが「友情のお米」と、いつもニュースになっていました。応援のブラスバンドも地元の高校が一日中アルプススタンドで、遠来のチームの応援を買って出たこともしばしばでした。



サイトマップ ホーム > 思い出あるばむ > 伊丹空港・道頓堀


更新 −平成16年 3 月15日− 
更新 −平成16年 3 月 1 日− 
更新 −平成12年 9 月10日− 
−平成11年 7 月20日− 

Copyright 1999-2004 Non-Chan Osaka,Japan